プログラミングと小説執筆にはシナジーがあるのか?ゲームおじさんの創作論
チャオチャオ。調子にのって創作論なんかを書いちゃおうとしているゲームおじさんで〜す。
ゲームおじさんは、いちおうプログラマーとして仕事をしていたこともあるし、とある小説新人賞で三次選考を通過したこともある。
どっちも二流ではあるんやけど、両方の知見は持っているつもり。
そして今回は、「プログラミングと小説執筆にはシナジーがあるのか?」というテーマを論じたい。
プログラミングと小説執筆は近い?
プログラマーの仕事をやってく上で、「可読性」の高いプログラミングを書くってのは大事なこと。
ちゃんと動くものを書くのは前提として、「読みやすい」コードを書けるのが良いプログラマーみたいな風潮はある。(あくまで仕事上の話ではあるけどね。)
だから、「文章力」と「プログラミング能力」が隣接してるって考え方はわりとあるんよ。
プログラマーかつ小説家の人もおるよね。
『すべてがFになる』など、プログラミングの知見を活かして小説を書く「森博嗣」氏とか、最近では『裏切りのプログラム』の「柳井政和」氏とかね。
すべてがFになる THE PERFECT INSIDER S&M
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で、一時期のゲームおじさんは、「プログラミングをする能力と小説を書く能力はシナジーがあるのかもしれない」と考えながら、両方をこなしてたわけ。
プログラミングと小説執筆にはシナジーがあるのか?
先に結論を言うと、「無い」と、ゲームおじさんは考えてる。
もちろん、人間のあらゆる営為には何かしらの共通点がある、みたいな意味では、お互いの知見が寄与し合うところはあると思うよ。
でも、基本的に、「小説執筆」と「プログラミング」は、反対の性質を持つものやと思うわ。
こう書くと偉い人達に怒られるかもしれんけど、プログラミングは目的が陳腐なほうが上達しやすいんよ。
一方で、小説を書くときは目的を自分で考え出さないといけない。
だから、プログラミングのノリで小説を書いてもゴミみたいな内容になるし、小説的な考え方はプログラミングをする際の妨げになるんよ。
別に、どっちのほうが優れているか、みたいな話ではないよ。
プログラミングは「手段」を考えること
プログラミングの第一歩とされる「Hello World」の出力をやったとき、「できたぜ!やったぜ!」と思う人と、「だからどうしたw」と思う人とでは、前者のほうがプログラミング出来るようになりやすいんよね。
これは、上達していっても同じで、ちょっとしたゲームを作るだとか、ちょっとしたアプリを作るみたいなフェーズでも、最初は大したことが全然できんのやけど、そういう「大したことがないもの」に嬉々として取り組める人のほうが、プログラミングできる人は多い。
プログラマーの仕事は目的の設定ではなくて、与えられた課題に対しての最適な手段を追求することやからや。
プログラミングは、目的を達成するための「手段」や。
そして、手段を磨くには、手段そのものを愛する必要がある。だから目的は二の次にしないといけんのよね。
「目的の大事さ」をちゃんと考えてしまうような人に、プログラミングは性質的に向いていないわけよ。人間って万能じゃないからね。
剣を握らなければ おまえを守れない
剣を握ったままでは おまえを抱き締められない
(久保帯人『BLEACH』)
みたいな感じやね。
「手段」に習熟してしまった者は、そういう業(カルマ)を背負うんよ。
プログラマーって、基本的に変なやつが多いもんね。
手段と目的の両立というのは理想
「手段を持ってるやつが目的を設定する」みたいなのは、IT黎明期に登場したハッカー達のコンセプトやったんかもしれんね。
ポール・グレアムっていうLispおじさんのエッセイにも、そんなことが書いてあった気がする。
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Googleのイケてるヤツらの考え方も、そんな感じかもしれんね。
でも実際、「言うは易し」で、本当のトップクラスがプログラミングを修めるからこそ成り立つ世界なんやろうな。
「手段を持っている人が目的を決めろ」っていう風潮は日本にもあるけど、表面的なところだけを真似しても大変なことになるぞ!
プログラマーの偉い人って、ホントにつまらんことで威張っとったりするからなあ。
「まともなプログラマーが理不尽な要求を受ける系の話」って、ネットでは流行るけど、実際はそんな単純なもんじゃないんよ。
「目的」を決めるフェーズと、それを達成するための「手段」を決めるフェーズは、切り離して考えるのが王道やとゲームおじさんは思うわ。
事業をやる上での「目的」は、金を出した人か、責任を負うことのできる人が決めればいい。
小説は「目的」が明確ではない
じゃあ小説の執筆はどうなんかって言うと、小説は「目的」を念頭に置きながら書いていかんといけんわけよ。
小説の「手段」にあたるものは、みんなが持っとる。
ほとんどの日本人は、日本語を書くことができるだろうし、読んで意味を理解することもできる。
だから、ただ「書く」という点においては、「小説を書ける人」と「プログラミングが書ける人」なら、「小説を書ける人」のほうが圧倒的に多いやろうね。
その代わり、小説ってのは「目的」が明確じゃない。
「これを書けばいい」「これさえやればいい」ってものが一切無い世界や。
プログラミングは、目的を解決するための「手段」なのに対して、小説は、「目的」を産み出していく作業なんよ。
「目的」の大切さ | 「手段」の大切さ | |
---|---|---|
プログラミング | 小 | 大 |
小説執筆 | 大 | 小 |
図で表せばこうやね。
だから、プログラミング的な発想で、「とりあえず手を動かして」小説を書いても、全然うまくいかんのよ。
以前、プログラマーの知見を活かして小説を書くために、小説をGitで管理するみたいなことをやってみたりもしたんやけど、ダメダメやった。
「何を書くか」っていうのを、手を動かす前から煮詰めるフェーズが、小説には必要なんよね。
「目的」を見つけ出すってのも、とんでもなく大変なことで、だからこそ小説家はいっつも苦悩しとるんかもしれんね。
(画像は太宰治)
若者の天才ハッカーはおっても、小説家ってのはある程度の年齢じゃないとモノにならんってのも、そういう理由かもね。
手段と目的が同時進行していく場合もあると思うよ。
でもそれは、時代に恵まれた人か、一握りのトップクラスの考え方やろうね。
我々凡人からすれば、「あっちを立てればこっちが立たず」ってなるのが普通よ。
ゲームおじさんの結論
というわけで、小説とプログラミングってわりと正反対の性質のものやってこと。
ただ、創作は個人の才能が大きく、こういう一般論を軽々と飛び越えていく天才が世の中におるってのも事実やけどな。
凡人であるゲームおじさんの最終的な結論としては、「やりたいことがあるときは、まずそれのみに向き合って一生懸命やること」やと思うわ。
「○○をすれば後々○○に有利になる」みたいなことは、あんまり考えんでいいと思う。
自分の一番やりたいことに、できるだけのリソースを投入するんや!
この歳になって思うけど、人生は短い。