たまにはラノベ以外の本を読んで感動した話

吾輩はゲームおじさんである。

ゲームおじさんは典型的なアレなやつで、自分では読書家のつもりやったんやけど、これまでの人生で読んできた本のほとんどがライトノベルか、SF小説やったんよ。

そして、「ラノベなんてクソやぞ」とか言っとる純文学野郎を殴るみたいな、まさに典型的なラノベおじさんよ。

そんなおじさんでも、不意に、いわゆる世間的な「ちゃんとしてるヤツ」ってのを読んでみたくもなるもんなんよね。

で、実際に読んでみた本がこれよ。

カラマーゾフの兄弟

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

カラマーゾフの兄弟〈上〉 (新潮文庫)

ヒョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』ってやつ。

ドストエフスキーは、読んだことなくても、みんな名前くらいは知っとる大作家やね。

なんかやたらと特集とかに取り上げられるし、いまだに本屋の店頭に並ぶこともあるし、「すごい人なんやなあ」って認識はあった。

でも、どこかで「そんな大したものなんかいな」っていうのもあったよね。

「読んでみようかなあ」と数十年くらい思ってたんやけど、なかなか手にとる機会もなく、つい最近になってやってようやく読み始めたわけよ。

初めての純文学に衝撃を受ける


まだ<中>の途中までしか読んでないんやけど、なんていうか、衝撃を受けたね。

なんていうか、もっと早く出会っとったら、自分は今とはまったく別のことをしとったかもしれんな。

これは、もう今から100年以上前に書かれた小説なんやけど、「本質」ってやつを感じるんよ。

「人間」っていう存在の、切なさとか、どうしようもなさとか、難しさとか、そういうものが書かれてるんやね。

こういう小説を読んでると、世間のつまらないいがみ合いとか、こだわりとかが、また何か違う、もっと広いパースペクティブで見えてくるっていうか……。

少なくとも、世の中のあらゆるものにたいして、もう少し寛容になれそうなんや。

なかなか言葉に言い表せないんやけど、「人間ってこうやな」っていう、本質的なスゴさを感じるね。

「本物」ってヤツを味わってしまったよ。

まだ『カラマーゾフの兄弟』は読み切っていないので、しばらくは読書おじさんでやっていきますわ。

しかしラノベは重要な日本の文化

やっぱり、時間の風雪に耐えた文学ってものの力は、とてつもないと思う。

それに比べたら、ラノベは消耗品って感じがなくもない。人間の本質的な部分よりも、表面的な楽しさを追求してる感じがする。


でも、自分が高校生とか大学生くらいの頃にカラマーゾフを読んでも、あんまり理解できんかったと思うんや。

最初の登場人物がどういうやつらなのか……みたいなところで、挫折して投げ出してしまう可能性が高い。

あの頃、ラノベを手にとって、読書する習慣を続けてきたからこそ、今こうやって『カラマーゾフの兄弟』に感動したりしてるんかもしれんね。

ようするに、「間口を広げる」ってヤツやね。

でも、消費者の間口を広げるっていうのは、エンターテイメント産業にとっては何よりも大事なことなんよ。

『ドラゴンクエスト』とか『DS』とか、ああいう偉大な達成があったこそ、後の本質的な名作が産まれてくるキッカケにもなってるんよ。


ということで、結論は、「ラノベも純文学もどっちも大事や!」ってことやな。


この年齢になって文学の味を知って、やたらとはしゃいでいるおじさんのことを「かわいい♡」って言ってくれる文学少女と、文学の深遠についてゆっくり語り合いたいね。

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